こんにちは。
企業成長コンサルタントの廣井紀文です。
今日は、「企業コンサルが、オリンピック直前のドタバタ劇から思う事」
これで行きたいと思います。
よろしくお願いします。
今週末に迫ったオリンピック開会式。
小山田圭吾という親も芸能人のミュージシャンが、
とんでもないサイコパスで、
学生時代にとんでもない「イジメ」をしていたと。
その陰湿なイジメの内容は、若さからの無自覚なんて
理由にならない程で、私もかなり衝撃を受けました。
不謹慎ですが、この話を聞いて
数年前にあった相模原の障がい者殺傷事件。
40数名を殺傷した犯人とやってることはそう変わらんなと、
感じてしまいました。
それもこの人、私と同じ52歳。
同じ時代を生きてきた人間として、
なんでも、お笑い芸人が「時代背景」という言葉を使って
これまた炎上していましたが、
擁護するとか、そういう話ではなく、
経験上、言いたいことがなんとなく分かる気もします。
確かに、そういう時代だったかもな、と。
あのバブル絶頂期を迎えるころ、
私も東京のいわゆる「ボンボン」学校に通っており、
結構、有名人、芸能人の子息とかも事実居て、
なんと言いますか、
選民思考を持ってそうな家柄を感じる人間って、
確かに居ましたね。
自分のひがみ根性(笑)から
今までなんとなくだったものが、
こういう事件?不祥事?を聞くと、
やはりそうだと、言いたくなるような気分です。
あんな環境で、地方出身、貧乏学生やってたからか、
なにか、本当に人の気持ちなど微塵も考えない、
なによりも見栄が先行、面白ければ、派手ならば的な、
考えてみれば、究極の浅はかさを感じるような
時代だったとも思います。
時代的な話をすれば、
その後すぐにバブルははじけ、失われた30年の平成時代。
景気が低迷する中で、どんどん知財は日本から流出し、
産業転換出来ず、どんどん国は貧しくなっています。
派手さが消え、超二極化は進む中で
「自分さえ良ければ的な」資本主義は、
ますます進んでいる様にも思います。
少し話が大袈裟となってしまいました。
本題です。
本来私が話したいと思ったのは、
大会組織委員会の組織としての対応にまつわる話でした。
要は、組織委員会の解任するまでの判断が遅い、
それで、また議論が起きているという話です。
実際は、解任ではなくあくまで辞任という事ですが、
これにも裏があったとのこと。
何でも、彼を辞めさせれば
映像系のクリエーター達が自分たちも辞めると、
いわば脅されて決断出来なかったという話です。
これは、中小企業と言わず、どこでもありそうな話で
妙に、納得してしまいました。
確かに、開会式まで数日と迫った時点で
今までの苦労はどうなるんだと、
そう言いたい気持ちは理解できます。
技術者集団でしょうし、このタイムスケジュールで
何らかの手を打ったとしても、創作物のクオリティも低下
すること、目に見えていますものね。
彼らのプライドが許さなかったのかも知れません。
でも、やはり常識としてダメなものダメ、と英断する
「強力な」リーダーシップは、やはり必要でしたよね。
これらのドタバタ劇は、その他も含め、
企業運営において教訓になり得る点が数点あるように感じます。
主に2点。
①責任者(組織委員会)のそもそもの事前チェックの甘さから、
真の責任感とは何か?という事。
そもそもこれが全ての事の発端であり、
これだけの国家的大事業で、関係者の身体チェックの漏れ。
コロナ禍での異例づくしでゆとりがない、は想定できるにせよ
杜撰すぎだと言われても仕方がない。
②組織運営において、特定の集団(人物)に頼りすぎてはダメだという事。
要は、映像クリエーターが連座でボイコットするようなことの本質は、
「替えがいない、頼りすぎ」であるという事であり、
結果として「依存し過ぎた」状態であったということ。
もちろん、開会式なんて一種の芸術作品でしょうから、
替えなんて用意する必要はあるのか、という現実論は出るのでしょうが、
会社においては、転用できる、肝に銘じる部分だとは思います。
コンサルの現場において、
社長が、売上の大半を稼ぎ出す「トップ営業マン」に
遠慮し過ぎ、依存しすぎで勘違いが起き、
規律さえ保てず、ガタガタになっている会社を思い出しました。
その本質も、リーダーシップの無さと言えばそれまでですが、
結局は、その何気ない行為の代償は大きいものです。
オリンピックとは、規模も質も大きく違いはしますが、
そんなことを考えた一連の騒動でした。
もうソフトボールは始まりましたし、
あとは鍛え上げられたアスリートの姿を見て、
純粋に感動できるオリパラとなってもらいたいと思っています。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
